日本語で歌詞書くのムズすぎワロタwww

マツミヤカズトのGEEKコラム
スポンサーリンク

どうもどうも!GEEK! GEEK! GEEK!で前科がありそうな人ランキング1位のマツミヤカズトです!ないよ!

最近全然音楽や歌詞の話をしなくなっていた本コラム、久しぶりにちゃんと音楽と歌詞について書こうと思います。
(メロディーやリズムの分析は専門外です。すまんね)

ていうか今回は、自分がいつも何に困っているかを書くだけで、全くもってなんの問題提起もありません。

もう、普段からつくづく思うんですが、日本語で歌詞書くのめっちゃむずくねーすか!?
毎回「くそぉ・・・、日本語め・・・」と思います。

もっと正確に言うと、ジャズやロック、ポップス、R&B等の、もともとが英語圏から生まれた音楽に対して日本語詞を載せることは本当に難しいと思います。
やはりそういった西洋で発生したリズム・譜割りの音楽に対しては英語詞を載せる方が圧倒的に「楽」です。楽というか、そもそもがそういう風に作られているように感じます。

あ、もちろん英語だけではなくフランス語、ドイツ語、スペイン語、もしくはアジア語圏の音楽もあるんですが、もうそんなん言い出したらえらいことなんで今回は「英語 VS 日本語」で考えますね。
言語学ってややこしいこと言い出したら無限にヤヴァイ領域なので、手出さんときます。できるだけ簡単に。ってか「この言語はゲルマン語系で~~」とか無理。


で、そんなに日本語詞が難しいなら、英語で書いたらええやんけ、とも思うんですが・・・
どうせなら歌詞にちゃんと自分の表現を、細かいニュアンスまで含めて載せたいと思いますので、なかなかそうもいきません。
第一、個人的に、昔ながらのジャパニーズメロコア等でよくある「変なジャパニーズ英語歌詞」が、あまり受け付けません。

僕は中途半端に英語が話せるので、そういうのがものすごく恥ずかしく思えてしまうのです。かと言って、英語で叙情的な歌詞を書くほどの語学力もありません。

とにかく、この後詳しく書きますが、はっきり言って日本語は言語の構造特性として「西洋のミュージシャンと同じように西洋音楽のリズムに載せる」というのはあまり「向いてはいない」と思っています。

しかしだからと言って日本語ではいい歌詞は生まれないなどとほざく気はありません。
美しい日本語歌詞は確実にありますし、どうにか日本語を使って西洋のビート感に載せているミュージシャンもいます。また、日本語独特の節回しに海外のミュージシャンが魅力を感じることもあると、最近はよく聞くようになりました。

表示できません - Yahoo!ニュース

今回は、日本語という特殊な言語を、西洋生まれの音楽に載せる「歌詞」として扱う時にどういう難しさがあって、僕がどういう風にいつも「ぐぬぬ・・・」いうて悩んでいるのかをできるだけ誰にでもわかるように明文化したいと思います。

作詞をされる方が歌詞を作るときに少しでも歌いやすくなるように、その手助けになれば幸いです。もし自身の歌詞に違和感があるなら、その理由がもしかしたらわかるかも。

ちなみにこれ「おれはいつもこれだけ考えてるぜ」って感じで書いてますが、僕はいつも歌詞を雰囲気優先でダーーっと書いて、ちくげ 先生に、本人が歌いやすいように組み替えてもらったり、単語や助詞を調節してもらったりしています。

ってか、今回の文はちくげ先生に教えてもらったこともだいぶ入ってます。
なので詳しくはちくげ 先生に聞いてください!

手の内を明かすようなこともバンバンに書いてますが、まぁあんまり人に言わんといてね笑

スポンサーリンク

日本語歌詞の難しさ

難点その1:日本語は「長い」し「遅い」

言語学的なややこしいことはすっ飛ばしますよ。日本語が母音と子音からできてる、とかその辺のことはわかってくださってると思って書きます。
ってか、わしかてむずかしいことはわからんさかいな!

とにかく日本語って子音単体の発音が基本的にない構造であるため(本当はありますが)、その文が意味をなすために必要な音(母音)の量が英語等よりもめちゃくちゃ多いのです。

「文字の数」じゃないですよ。「音の数」です。「音符の数」と言った方がいいかもしれません。(本当は「モーラ」というワードを使うべきなんですが、邪魔くさいのでわかりやすく「音」でいきます)

簡単なとこだと、英語で「私は」と言いたければ「I」の一音ですみますが、日本語では「ワタシハ」と4音必要です。
っていうか、「I’m」ですら一音でいけます。

今井美樹が「わたしはいま~~」って言うてる間に、英語だと「I’m looking for the star」(私は星を探している)ってとこまで言えてしまうんですね。

では、同じ曲の英語歌詞と日本語歌詞を並べて比較してみたいと思います。

例:A Whole New World
◆英語歌詞
A whole new world(直訳→全く新しい世界だ)
A new fantastic point of view(直訳→新しくて素晴らしい視界)

有名なこの曲ですが、それでは日本語で歌われるために訳された歌詞だとどうなるかというと(新しい訳詞もあるみたいですが、それはそのまま英語使ってるので昔のやつです)

◆日本語歌詞
大空
雲は美しく
こんだけ!!!!!ほぼ何も言っていない! ほぼ!!何も!!!
アラジン~A Whole New World(日本語版)

例はいくらでもあります。もし興味があれば和訳がある歌を聴いてみてください。
日本語歌詞がどれだけ省略され、抽象化されているかがわかるかと思います。

例えば、「アナと雪の女王」「デイ・ドリーム・ビリーバー」とか。

あるいは逆にこんなのも。英語に訳す場合にはいろいろと足して「抽象的な日本語」を盛っていかないといけないんです。

Ane Brun – You Took Your Love Away from Me (Sukiyaki)

永六輔は一回も「愛」については言及していないのですが、余裕で「Love」って言っちゃう感じ。詩的表現をザクっと具体化されちゃう感じ。これは文化の違いやね。

別になにも、どっちが優れてる/劣ってるって言いたいわけじゃないです。
「いちいち全部言ってるとめっちゃ長いし遅い」っていうのが日本語という言語の特徴ですし、「全部言う」っていうのが英語の特徴なんです。
(言語学の先生に言われせばもっといい表現があると思いますが笑)

日本語では特に、主語と目的語が省略されます。
例えば英語で

I love you

これをそのまんま全部訳すと

私はあなたを愛してる

ですが、そんな風に言わないですよね。

(私は)(あなたを)「愛してる」

だけになります。
目的語をはっきりと言うのは、「省略できない」時だけです。
目の前の人に、別の誰かを愛していると伝える時には省略できませんから

I love him →【彼を】愛してる

と言わなくてはなりません。

高校の古文を真面目に勉強していた人なら、こういう解説文を目にしたことがあると思います。
「主語が省略されているので誰が主語になっているのか注意して読みましょう」

そして思ったはずです。
いや、主語言えや、わかるか、と。

しかし古文を書いてた紫式部や清少納言からしたら「お前らかて省略しとるやんけ」と思っているでしょう。

友達に「今度ラウンドワンいきたいね」ってLINEするとしますわな。

ほら、主語言ってない。英語だったら

I’d like to go ROUND-ONE next time 

って言うと思います。よっぽどくだけた言い回しでないと主語(I)は省略されません。
(若者言葉で [Wanna go ~~]とかは言ったりしますけどね)

この「いちいち全部言うてたらワヤですわ」という言語であるからこそ、日本語には「省略」という美学が生まれたのではないかと僕は思っています。

「以心伝心」「空気を読む」という日本で重視される文化とか「全部見せるのは粋じゃない」とか「侘び寂び」的な精神性みたいなものも、実はこういうところから醸成されてきたんじゃないか、と。
あと、日本人がやたら言葉を省略したがるのも。
「さようなら」は「さようならばこれにて失礼いたします」の略ですし、「スマホ」とか「アラサー」とか「キムタク」とか。

日本語の詩句

この傾向は日本語による詩句、短歌や俳句において顕著です。絶対にいちいち「私は」なんて言わないですよね。4文字(=4音)も使うので。

まず前述したように「省略の文化」があります。

全部言うてたら邪魔臭いしカッコ悪いので、少ない言葉で意味が伝わるように、言葉を探し抜き磨き抜くわけです。「てにおは」の一文字だけでも全く意味が変わります。

そしてまた、5・7・5というフォーマットにいれることができるのは「音の数を数えることができる」日本語だからこそできることです。

日本語はほぼ「文字の数」=「音の数」だから、これができるんです。

【あ・い・し・て・る】は5文字で5音です

英語では違います。

【I love you so much】は、めんどいので何文字か数えませんが、5音でいけます。音符5つです。ドレミファソ~で歌えるっしょ。

【Please hold on me tight】これも音5つです。

英語で俳句もできないことはないでしょうが、一般化するにはちょっとわかりにくいですよね。文字じゃなくて「音節」ですから。
日本語が、ある意味「平坦な音韻」の言語だからこそできる文化ではないかと思います。

あ、一応英語の俳句という文化もあるそうです。
こんな感じ。

Spring is here
Buds opening up
I got new shoes

日本語ミュージカルの違和感の理由

ちょっと話がそれますが、「日本語でミュージカルをやると違和感がある」と思う人は多いかと思いますが、僕はこれも、日本語の言語的特性によるものではないかと思っています。

英語では前述の通り、音符に一単語もしくは一音節のせることが可能です。
したがって、歌い言葉に乗せられる情報量が多く、話し言葉と歌い言葉の間に情報量=スピード感の差が少ない、ということになります。

英語でミュージカル映画などを見ていると、主人公が突然歌い出してもそれほど違和感がありません。なぜならそれまでその主人公が話していた「話し言葉」のリズムや情報量と、「歌い言葉」に日本語ほど落差がないからです。

例えばこちらの動画。

The Greatest Show – The Greatest Showman Ensemble (Full Clip) HD

ヒュー・ジャックマンの歌い出しはつぶやくように、まるでブツブツと独り言を言っているかのようです。それがいつの間にか、歌唱にフェードインしていきます。

日本語ではこれが、とても難しい。
省略された上でスピードを保っている日本語の「話し言葉」と、西洋の音楽に無理やり乗せた日本語の「歌い言葉」では情報量が圧倒的に違うからです。


そしてもう一点、後で詳しく説明しますが、日本語の歌唱では「単語の中に音程がある」という状態になります。

今まで話し言葉で「〇〇なんだね!」とか言うてたのに、突然「あ〜〜さがくれば〜〜」という、通常の話し言葉とは違うアクセントで歌い出すので、その落差が大きいのではないでしょうか。

英語であれば、単語(音節)ごとに音程が変わる状態になるので、そこまで落差がなく「歌い言葉」にフェードインできるのではないかと思います。(後でもう少し詳しく)

ミュージカルアニー2018年Tomorrow

なんやこいつ急に歌い出した!!!!って感じしますよね?
ていうか途中からものすごい音割れます。なんやこの音源。

同じ歌の英語版を置いておきます。話し言葉~歌い言葉の流れが全然スムーズなのがわかると思います。

Annie 1999 – Tomorrow

こういう違和感・落差が、日本語ミュージカルの「なんか見てて恥ずかしい」感じを作っているのだろうと考えています。

そういうのがあるのかはしらないですけど、そもそも日本語のリズムやアクセントに合った楽曲、例えば浪曲とか、阿波踊りの「よしこの」に流れ込むようなミュージカルがあったら違和感なく見ることができるんじゃないかしら。(それがおもろいかどうかはしらんけど)

もしくはめちゃくちゃシビアに日本語歌詞を設計することです。日本語の「話し言葉」と変わらない「歌い言葉」を組み上げることができれば、違和感少なく見ることができると思います。

例えばこれ。この映画の翻訳者さんはほんまにすごい。

雪だるま作ろう

 

ちなみに

日本語は世界でも1、2を争う「速い言語」なのだそうです。

外国の人からすると、めちゃくちゃ早口で話しているように聞こえるのだとか。

この章の最初で「日本語は長い、遅い」と書いているので矛盾してると思われるかもしれませんが、ちゃいます。矛盾してません。
「日本語は歌い言葉にすると通常は長い、遅い」もしくは「全部言うと長い、意味伝達が遅い」ということです。

前述の通り、日本語は意味をなすために必要な「発音」の量(母音の量)が、同じ意味内容の英語等のセンテンスに比べて非常に多い言語です。
したがって、歌唱言葉として音符に乗せていくと、意味をなすまでにたくさん音が必要です。

話し言葉では、それをギュッと詰め込みます。それが外国人からするとものすごく早く聞こえるわけです。
そして早口プラス、多くの主語や目的語を省略することによって「日常会話のスピード」を保っているということです。

外国人は日本語ってどのように聞こえているのだろう? - NAVER まとめ
日本語って外国人の方から聞くと、どの様な印象を持たれるのでしょうか?

そしてまた、日本語の発音は(現代の若者言葉では特に)英語に比べて「平板」だと言われています。抑揚が少ない言語を、急に音程を上下させながら歌うわけで、まぁ、そうなりますわな。

アクセントが平坦な日本語と同じ話し方では英語は聞き取りにくい
英語のスピーキングはリズムとイントネーションが大切!!   これ英語を勉強している人なら良く聞く言葉…

どうしたらいいのか

この「日本語はいちいち長くなるし遅くなる」ということに対してどうすればいいかというと、それはすでに答えが出ています。

俳句や短歌と同じように「省略」し、「てにおは」にまで気を配って「言葉を磨き抜く」ことです。
そのためには当然「比喩」が必要ですし「暗示」や「行間」と言った部分まで気を配って「言外」の意味を組み込んでいかなければいけません。

「比喩」というものが何のためにあるのかについては改めて書きたいと思っているのですが、要するに比喩とは、膨大な情報量をたった一言で片付け、しかも想像力を掻き立てて意味を自由に付加できる魔法です。

「赤くて丸くてつるつるで瑞々しい」なんてダラダラ言ってられない時に「りんごのような」と変換することで短くした上にイメージを増幅させられる魔法のツールです。

さて、以前書いたコラム「なぜありきたりな歌詞を書いてはいけないのか」では
「芸術の根源的な目的である【共感】(意識外での理解)を得るためにはオリジナルの視点と表現でなければ意味がない」という回答を置きましたが、今回の文脈からこの問いに答えるならば

「日本語の歌詞ではありきたりな(無駄な)ことを言っている余裕はないぞ」ということになります。

なぜ、ありきたりな歌詞を書いてはいけないのか?
初回から非常に好戦的なタイトルで申し訳ありません。 GEEK! GEEK! GEEK!の「ややこしい思想」担当のマツミヤカズトです。 恐れ入ります。 さて、タイトルの通り、記念すべきコラム第一弾は「歌詞」について普段考えていること...

作詞者が伝えたい表現を観賞者に届けるためには、音符を隅々まで、できるだけ自分のオリジナルの表現のために使い切らなければ、「翼広げて」とか「瞳を閉じて」とかわけのわからんことを言うてお茶を濁してる余裕はないわけです。

英語なら、音符がそんなになくても単語を入れられますからOh baby! とか Come on!とか適当に入れても割とサマになりますよね。

ただし、余裕がないからと言ってただ「詰め込めばいい」というわけでもありません。
どこまで想像させるか、どこまでをこちら側、どこからを聞き手に描いてもらうか、抽象性の配分を作らねばなりません。
そしてもちろん音数や音程による制限があります。

そういう細かい作業をしなければいけないのに、特に意味もなくなんとなく「果てしない~~」とか「いつまでも~~」で5音も使ってる余裕はないってこってす。

ところで、ここで、とある革命家をご紹介します。

日本語を、歌い言葉でも、まるで話し言葉のように違和感なく、ものすごい密度で歌い上げることができる、音韻選び・言葉選びの天才です

なぜ彼の楽曲がこれほどまでに「快楽的」であり「耳に入ってくる」のかが、ここまでを読んでいただいた方にはよくわかるかと思います。

米津玄師 MV「LOSER」

 

まだまだ続きます!

タイトルとURLをコピーしました